2018年 02月 21日
第9回「街歩き&グルメの会」を開催しました |
~住吉大社を初詣し、
地元の居酒屋さんで新年会を楽しむ・・・の巻~
■第9回「街歩き&グルメの会」を開催しました!

皆さん、こんにちは。お元気ですか?
街歩き&グルメの会の幹事、浜田知宏(3年9組)です。
さる1月14日(日)に「第9回街歩き&グルメの会」を開催しました。
今回は住吉大社周辺を街歩きし、住吉大社へ初詣。その後、近くの居酒屋さんで新年会を楽しみました。
ナビゲーターはご存じ“ブラ・酒井”こと酒井君!
今回も古地図など15枚の資料を準備いただき、資料片手に約2時間半をかけて街を案内していただきました。
酒井君、ホント、毎度毎度、ありがとうございます! m(__)m
今回の参加者は過去最高の19名! 皆さん、お疲れさまでした~
みんな揃っての初詣。きっとご利益があると思います・・・(^_^;)
それにしても住吉大社はすごい! さすがは摂津の国の「一之宮」。神社の中でも別格ですね。由緒があって規模もデカい! でも偉ぶってはいない。古くから“すみよっさん”と呼ばれてきたように今も人々に親しまれています。
われわれが訪れたのは1月中旬でしたが、まだ新年の厳かな気分が残っていて境内には清々しい雰囲気が漂っていました。
今回は他にも最新型LRTの堺トラム(阪堺電車)に乗ったり、紀州街道の両側に広がる安立町を練り歩いたり、安藤忠雄の“住𠮷の長屋”を観たりなど盛りだくさんな内容でした。
さて、それでは酒井君にご登場いただきましょう!
古地図や、わが専属カメラマン・大野君撮影の写真もまじえながらご報告をいただきたいと思います。
酒井君、よろしくお願いしま~す。
■街歩きのご報告
1-5、2-6、3-3の酒井裕一です。
今回は阿倍野に集合して住吉大社をめざしますが、まだまだ寒い季節ということもあり、熊野街道を歩くのはやめて、並行して走る阪堺電車上町線に乗ることにしました。
せっかく乗るのだったら最新型のLRT(ライト・レイル・トランジット)の堺トラムに乗ろうということで、2時間に1本しかないダイヤに合わせて、あべの歩道橋に集合しました。駅と地下に降りることができるエレベーターが付いています。


クリックすると拡大して見ることができます。
2時間に1本しかない最新型LRTの堺トラムに乗りました。

【阪堺電車の見どころ】
①熊野街道・紀州街道に沿って走るので沿線に名所が多い
②路面区間と専用軌道区間がある
③南海高野線を跨ぐ高架軌道がある
④神ノ木駅からの眺め
⑤Light Rail Transit「堺トラム」が走る
⑥線路敷きの芝生化
⑦大阪唯一の路面電車
車内は予想以上に混んでいて、沿線の眺めを楽しむ余裕はありませんでした。住吉大社をいったん通り過ぎ、二つ先の「安立町」で降ります。
「安立」と書いて「あだち」ではなく「あんりゅう」と読みます。珍しい名前ですが、江戸時代の徳川将軍家の御典医である半井氏(なからいし)一族の半井安立軒元成(なからい・あんりゅうけん・もとなり)に由来する地名です。

駅から一筋西側を南北に通る紀州街道を北へ向かい、住吉大社を目指します。紀州街道は大坂の高麗橋と和歌山を結ぶ旧街道で、大阪市内では現在の堺筋に当たります。
御三家のひとつ紀州徳川家が参勤交代に利用した街道であったため、長堀橋、日本橋、大和橋は幕府が管理する公儀橋でした。
街道沿いにはお寺や地蔵さんが目につきますが、かつてあった町家はほとんど残っていません。



白っぽいところは戦災で焼失したエリアです。
安立町駅から一駅分歩いた所に「細井川」が流れています。ここに「おはらいばし」が架かっており、紀州街道の解説板があります。
街道に沿って細井川から大和川までの間がすべて安立町です。南北に約1.5Kmあり、非常に細長い町です。

細井川に沿って東へ進み、橋を渡ったところに、「住吉の長屋」があります。安藤忠雄氏の初期の作品で、1979年(昭和54年)に日本建築学会賞を受賞しています。

住吉の長屋から北へ進むと住吉大社の境内に突き当たります。やはり正面から参拝しようということで、灯籠の並ぶ柵に沿って外周を北へ進みます。

正面から住吉大社に入り、鳥居の前で集合写真です。


左上から、高灯籠、反橋、住吉本社、
下段は大和橋、五大力、浅澤神社、姫松。
鳥居をくぐり、名物の反橋へと向かいます。




住吉大社には4つの本殿があります。一番奥から手前に向かって、第一、第二、第三と並び、第三本殿の右に第四本殿という、独特の配置です。それぞれの本殿は、平入りの拝殿と妻入りの朱塗りの本殿がT字型に一体となった「住吉造」で、最も古い様式の神社建築のひとつです。


住吉大社本殿は西を正面にして海に向かって建ちます。

第四本殿は神功皇后を祀る。
そのため千木の端部の切り方が左右で異なります。

千木の違いもよく分かります。右が縦、左が横。


底筒男命(そこつつのおのみこと)を祀ります。底、中、表を合わせて住吉三神です。

第二本殿は中筒男命(なかつつのおのみこと)を祀ります。





大海神社も西向きで、海を見下ろしています。


(新之介さんのブログより)
浅澤神社以外の神社は、高いところに建ちます。

















紀州街道は海沿いを、熊野街道はその東側、上町台地上を通っています。



(グーグル・ストリートビューより)





最後に今回歩いたエリアの国土地理院地図と、江戸時代天保年間の浪華名所獨案内、明治時代の地形図、大正13年発行の大阪市パノラマ地図、明治5年発行の和泉堺市図に描かれている住吉大社をご紹介します。


紀州街道沿いの安立の町並みが大和川まで続き、大和川を越えるとすぐそこが堺の旧市街であった様子がよくわかります。

住吉大社は、浪華名所獨案内では図の右端(南端)に、大阪市パノラマ地図では挿絵として詳細に描かれています。

図の右端(北端)に住吉大社が描かれています。

詳しくはこちらをご覧ください。
堺市の地図に住吉大社が詳しく描かれている理由としては、江戸時代に大和川が現在の位置に付け替えられる以前は、摂津と和泉の国境は堺の町中の大小路であり(それゆえ堺と名付けられたともいわれる)、住吉大社の祭礼の際の御旅所である頓宮が堺の宿院にあることからも、摂津一之宮である住吉大社と堺とのつながりが深かったものと思われます。
堺市指定有形文化財の「住吉祭礼図屏風」は、住吉祭で住吉大社の神輿(みこし)が、堺の宿院頓宮(とんぐう)へ渡る様子を描いた屏風で、左隻(させき)は神輿の出発する住吉社頭の賑わいを描き、右隻(うせき)は安土桃山から江戸時代初期にかけての堺のまちを描いています。


今回も、大野くんにはたくさんの写真を撮っていただき本当にありがとうございました。また、今回はお配りした資料の説明を十分できなかったことを、この場をお借りしてお詫びします。このブログで、まち歩き当日のことを少しでも想い出していただけると幸いです。
最後に、大野君がFacebookに投稿された速報をご紹介します。
一昨日の日曜日、住吉界隈の町歩き会(ブラ酒井)がありました。その速報です。
住吉大社とその関連する神社は、全て、西に向かって正門がありました。つまり、海に向かっていた訳です。神功皇后の三韓征伐以降、大和朝廷による朝鮮半島への進出が西暦300年から400年に行われ当時の高句麗の広開土王と激しく戦ったようです。その様子は、414年に建てられた広開土王の碑文に書かれています。戦ったのは倭の五王と称される仁徳天皇を含む河内王朝の天皇家が相当されると言われています。仁徳天皇は、大川の掘削を進めて河内湖を軍船の繫留に使ってられたとか。この時期の大和朝廷は、強大な海洋国家だったんですね。と、こんなことを感じながら住吉大社界隈を巡っていました。当時の海岸線と内陸に行くにつれての少しの高低差を感じながら1万歩以上楽しく知識欲を満たしながら歩きました。
■グルメの会のご報告
さて、ここからは「グルメの会」のご報告です。
今回はネットで住吉大社周辺のお店探しをしました。
私がサラリーマン時代からやってきた“食べ歩き行脚”(過去4000店以上はまわっています。昼飯屋が多いけど・・・(^_^;))で培った嗅覚でお店を決定! 創作居酒屋「食処 勇 Isami」というお店にしました。
お店は住吉大社の眼の前です。
2階の大きな個室座敷を使わせてもらいました。
宴会は何といっても座敷がいいですね。靴を脱ぐと“くつ”ろげます。
失礼しました・・・m(__)m

今となってはどんな料理だったか記憶が定かではありませんが(・・・(^_^;))、刺身や揚げ物、サラダなどなど和洋のさまざまなお料理をいただきました。
なにはともあれ、みんなでワイワイ歓談しながら食べると料理は美味しいし、酒も旨い!今回の新年会も大いに盛り上がりました。

さて、次回の街歩き&グルメの会は4月上旬に開催予定です。
次回は春恒例のお花見宴会つき! お花見のできる街歩きコースを酒井君が目下、“物色中”です。
それでは、皆さん、また桜の時期にお会いしましょう! ヽ(^o^)丿
第9回「街歩き&グルメの会」のご報告(完)
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by hsakai1215
| 2018-02-21 06:19