2016年 08月 12日
第2回「街歩き&グルメの会」を開催しました! |
■第2回「街歩き&グルメの会」を開催しました!
母校・大手前高校前で記念写真
皆さん、こんにちは。お元気ですか? 浜田知宏(3年9組)です。
4月10日に第2回「街歩き&グルメの会」を開催しました。
前回は野田・福島界隈をまわりましたが、今回は高校時代の想い出の地、天満橋界隈を歩きました。もちろん母校・大手前高校も立ち寄りましたよ~
総勢13名による“大人の春の遠足”といった感じでした♪
例によって街歩きの案内役は“ブラ・酒井”こと酒井裕一君(3年3組)!いつものように古地図(今回は10枚!)を準備していただきました。
皆さん、古地図と睨めっこしながら、酒井君の丁寧かつ詳しい解説にうなずきつつ、天満橋→八軒家浜→大阪商工会議所→NHK大阪放送局→大手前高校→南天満公園とざっと約5キロを歩きました。
NHK放送局では「あさが来た」のセット(この日が最終日)も垣間見れてラッキーでした!
街歩きの後は京阪シティモールでお弁当やビールなどを買い出し、いざ南天満公園へ!時おり吹く心地よい風に桜が舞い散るなか、みんなで輪になってワイワイお花見も楽しむことができました。
~ヽ(^。^)ノ
~ヽ(^。^)ノ
酒井君、今回も資料の準備やルートの検討から、当日の案内・解説まで、ホント、ありがとうございました!m(_)m
それとカメラマンとして今回もご活躍いただいた大野浩司君(3年5組)! お疲れ様でした。
さて、ここからは大野君の写真をまじえながら、大阪の街の“スーパー歴男”酒井君に今回まわった天満橋界隈の魅力や見どころを語っていただきます。酒井君、よろしく~
■まち歩きレポート
3年3組の酒井裕一です。第2回まち歩きの会は天満橋周辺ということで、同窓生の皆さんがよくご存じのエリアです。あまり説明できることがないのでは?と心配もしながら、とりあえず資料を準備することにしました。
古地図を見ながらのまち歩きということで、今回は、江戸時代天保年間から、明治、大正、昭和の各時代を代表する古地図から天満橋周辺を抜粋したものを10枚用意し、当日皆さんにお配りしました。
ややくどくなりますが、ここでもこれらの地図を紹介します。地図といってもいろんな表現方法があることがお分かりいただけると思います。
ややくどくなりますが、ここでもこれらの地図を紹介します。地図といってもいろんな表現方法があることがお分かりいただけると思います。
①浪華名所獨案内 江戸時代天保年間(1840年頃)
④新版大阪細見全圖 明治18年(1885年)
⑤實地踏測大阪市街全圖 明治44年(1911年)
これらの古地図については、国際日本文化研究センターさんからお借りしました。こちらからご覧いただけます。
こんなに仰山配らんでも、大事な分だけでええやんか!というご意見もあると思います。まち歩き当日には「特に①と⑦をよく見てくださいね!」というコメントをしました。お配りした地図には、実はそれぞれに時代を反映して見所があります。このあたりは、別の機会にご紹介したいと思います。
当日はこれらのほかに大阪市パノラマ地図検定(大手前高校編)をお配りしました。
こんなに仰山配らんでも、大事な分だけでええやんか!というご意見もあると思います。まち歩き当日には「特に①と⑦をよく見てくださいね!」というコメントをしました。お配りした地図には、実はそれぞれに時代を反映して見所があります。このあたりは、別の機会にご紹介したいと思います。
また、バージョンアップされた「今昔マップ3」を使って、明治41年、昭和22年、昭和42年の地形図と最新の航空写真の4点を1枚にまとめた資料を用意しました。
左上の明治41年の地図では、幹線道路が拡幅される前の江戸時代の面影が残るまちの様子を知ることができます。右上の昭和22年の地図の中で白い部分は建物の建っていない土地で、戦災によって焼失したエリアです。左下の昭和42年の地図を見ると、本町通と谷町筋の市電はすでに廃止され、土佐堀通と上町筋には市電が残っていたことが分かります。
左上の明治41年の地図では、幹線道路が拡幅される前の江戸時代の面影が残るまちの様子を知ることができます。右上の昭和22年の地図の中で白い部分は建物の建っていない土地で、戦災によって焼失したエリアです。左下の昭和42年の地図を見ると、本町通と谷町筋の市電はすでに廃止され、土佐堀通と上町筋には市電が残っていたことが分かります。
⑪「今昔マップ3」による天満橋周辺の地形図
(明治41、昭和22、昭和42、最近の空撮写真)
(明治41、昭和22、昭和42、最近の空撮写真)
当日はこれらのほかに大阪市パノラマ地図検定(大手前高校編)をお配りしました。
当日は配っていませんがスタートの前にもう1枚地図を見ておきます。上町台地の高低差を色分けで示した地図です。赤が高いところ、青が低いところを示しています。緑色の丸の中が今回歩いたエリアです。
上町台地の高低差(緑の丸の中が今回歩いたエリア)
第2回まち歩きは、4月10日10時30分、高校時代からなじみのあるOMMビルの前に集合です。資料の説明と西岡君から船場大阪を語る会の情報提供の後、マーキュリーの銅像前で記念撮影を行いました。OMMビルの外観はガラス張りになっていて、高校時代と比べると大きくイメージチェンジしています。
さあ、いよいよまち歩きのスタートです。
造幣局の桜の通り抜けが始まっているため天満橋周辺は午前中にもかかわらずかなりの人ごみです。その流れに逆らうように、京阪天満橋駅を通り抜けて北へ向かいます。
京阪電車は中之島線が完成したことによって、かつて天満橋止まりだった南側の線が淀屋橋行きになり、淀屋橋行きだった北側の線が中之島行きに切り替えられて、2つの線に分岐する駅となっています。(乗換は京橋駅が便利ですよ。)
もうひとつ変わった点は、八軒屋浜船着場の設置に合わせて、コンコースから直接に大川端に出れるようになったことです。堤防に穴を開けて通路を設けていますので防潮扉がついています。その通路を抜けて川沿いに出ます。
造幣局の桜の通り抜けが始まっているため天満橋周辺は午前中にもかかわらずかなりの人ごみです。その流れに逆らうように、京阪天満橋駅を通り抜けて北へ向かいます。
京阪電車は中之島線が完成したことによって、かつて天満橋止まりだった南側の線が淀屋橋行きになり、淀屋橋行きだった北側の線が中之島行きに切り替えられて、2つの線に分岐する駅となっています。(乗換は京橋駅が便利ですよ。)
もうひとつ変わった点は、八軒屋浜船着場の設置に合わせて、コンコースから直接に大川端に出れるようになったことです。堤防に穴を開けて通路を設けていますので防潮扉がついています。その通路を抜けて川沿いに出ます。
八軒家浜の説明板、対岸は南天満公園
再現された常夜灯、背景には天神橋と噴水
渡辺津から世界遺産熊野古道へ
小楠公義戦の碑
ダックツアー(水陸両用バス)をお見送り
八軒家浜から熊野街道を南へ進みます。土佐堀通と御祓筋の交差点に熊野かいどうの石碑があります。石碑を見て、土佐堀通を西へ向かうと、永田屋昆布本店に出ます。店先に八軒家船着場跡の碑があります。
熊野かいどうの石碑
永田屋昆布本店前の八軒家船着場跡の碑
前方に約8mの高低差、上町台地の北斜面です
石段の脇に石町と天満橋京町の町名表示が並んでいます。東西の道路を挟んで南北で1つの町を形成する両側町の特徴で、街区の背割が町の境になっています。旧東区にはその伝統が引き継がれています。
石町は「いしまち」「こくちょう」ではなく「こくまち」と読みます。湯桶読み(ゆとうよみ)です。大阪の町名は「まち」と読むのが大半です。
一方、天満橋京町という変わった町名になっていますが、もとは京橋という町名でした。江戸時代から京街道沿いの町であったことから京橋という町名で、②~⑩の地図を見るといずれも京橋となっています。平成元年(1989年)に東区と南区とが合併して中央区が成立した際に、京橋二丁目が天満橋京町に改称されました。
石町は「いしまち」「こくちょう」ではなく「こくまち」と読みます。湯桶読み(ゆとうよみ)です。大阪の町名は「まち」と読むのが大半です。
一方、天満橋京町という変わった町名になっていますが、もとは京橋という町名でした。江戸時代から京街道沿いの町であったことから京橋という町名で、②~⑩の地図を見るといずれも京橋となっています。平成元年(1989年)に東区と南区とが合併して中央区が成立した際に、京橋二丁目が天満橋京町に改称されました。
石段の脇に石町と天満橋京町の町境がある
石段を上がると北大江公園。公園を抜けて釣鐘屋敷へと向かいます。
釣鐘屋敷跡
釣鐘屋敷跡から西へ坂を下り、次の筋を左へ曲がります。少し進むと、西岡君が「この辺に同級生が住んどってん!」と叫び、どうやら見つけた模様です。
大手通の角を右へ曲がると、歩道に石碑が立っています。大阪活版所の跡で五代友厚ゆかりの地です。
大手通の角を右へ曲がると、歩道に石碑が立っています。大阪活版所の跡で五代友厚ゆかりの地です。
五代友厚ゆかりの大阪活版所跡の碑
そこから大手通を西に向かい、松屋町筋を左に曲がるとマイドーム大阪が見えてきます。ここは江戸時代に西町奉行所があった場所(図①②)で、明治時代以降は、大阪府庁(図③)、博物場(図④⑤⑥)、商品陳列所(図⑦⑧)、貿易館(図⑨⑩)が立地しました。現在は、マイドーム大阪のほか、大阪商工会議所、シティプラザ大阪が建っています。
大阪商工会議所の前には五代友厚をはじめ歴代会頭3人の銅像があります。第2次世界大戦時に供出されたため、戦後に再建されたものです。五代友厚像は大阪市内に5体、鹿児島に1体があります。
大阪商工会議所の前には五代友厚をはじめ歴代会頭3人の銅像があります。第2次世界大戦時に供出されたため、戦後に再建されたものです。五代友厚像は大阪市内に5体、鹿児島に1体があります。
西町奉行所跡の碑
商工会議所前の五代友厚像
本町通と松屋町筋の交差点から、本町通を東へ進み、谷町筋との交差点まで来ました。ここは、かつて市電がクロスして走っていた場所で、大きく隅切りをした交差点になっています。四隅に地下鉄の出入り口をとり、樹を植えても、なおゆったりとした歩道が確保できています。
本町通と谷町筋の交差点、市電が交差していた
ここから谷町筋を渡り、さらに東に進むと、歩道に盛り土がされていて大きな樹が立っています。舎密局(せいみきょく)の跡です。
舎密局は、明治維新期における化学技術の研究・教育、および勧業のために作られた機関で、明治2年(1869年)に大阪、翌明治3年(1870年)に京都にそれぞれ設置されました。前者を「大阪舎密局」、後者を「京都舎密局」と称しますが、大阪舎密局は第三高等学校(京都大学の前身校)の源流となったこともあって、「舎密局」の名称は大阪の方のみを指すこともあります。
「舎密」とは、幕末期に広く使用された、蘭語のchemie(化学)に対する当て字で、当時実生活に対する洋学(科学)の応用という点で化学が特に重視されたことに関わる命名と云われています。
舎密局は、明治維新期における化学技術の研究・教育、および勧業のために作られた機関で、明治2年(1869年)に大阪、翌明治3年(1870年)に京都にそれぞれ設置されました。前者を「大阪舎密局」、後者を「京都舎密局」と称しますが、大阪舎密局は第三高等学校(京都大学の前身校)の源流となったこともあって、「舎密局」の名称は大阪の方のみを指すこともあります。
「舎密」とは、幕末期に広く使用された、蘭語のchemie(化学)に対する当て字で、当時実生活に対する洋学(科学)の応用という点で化学が特に重視されたことに関わる命名と云われています。
舎密局(せいみきょく)跡
本町通を南へ渡るとNHK大阪放送局と大阪歴史博物館があります。2つの建物の間がアトリウムになっていて、朝ドラ「あさが来た」のセットが公開展示されていました。最終日ということで、建物の外まで行列ができていて、中に入る時間はありませんでしたが、周りから雰囲気を垣間見ることができました。
NHKあさが来た、加野銀行のセット
大阪歴史博物館(左)とNHK大阪放送局(右)
NHKを出発し、本町通を渡り北へ向かいます。府警本部前を通り、北へ進むと工事現場があります。昭和34年の建築で施設が老朽化したため、がん治療の拠点病院である大阪府立成人病センターがここへ移転することとなり、平成29年3月の開院に向けて現在工事が進んでいます。新病院の工事および運営は、設計・建設・建物の維持管理などを一括して発注するPFI事業で行われています。
さらに北へ進み、大阪府庁本館前を過ぎると、左前方に母校大手前が見えてきます。
母校大手前高校へ向かう
大手前高校正門前
校章をデザインしたモニュメント(こちらが表です)
大阪府立大手前高等学校、校名銘板
母校をあとにして、かつて通った通学路を通って、天満橋へ向かいます。京阪シティモール(旧松坂屋)でお弁当やビールなどを買い出ししたのち、造幣局に向かう雑踏に巻き込まれて天満橋を渡ります。
天満橋北詰で左に折れて、石段を下りて南天満公園へ向かいます。桜は散り初めですが、木曜日の大雨と強風にも負けずによく残っていてくれました。
天満橋北詰で左に折れて、石段を下りて南天満公園へ向かいます。桜は散り初めですが、木曜日の大雨と強風にも負けずによく残っていてくれました。
南天満公園、桜は散り初め
淀川三十石船舟唄の碑
このあと、淀川三十石船舟唄の碑の裏手の桜の木の下に陣取ってお花見の宴です。
今回のコース図と高低差です。最高地点はNHKで23.5m、最低地点はお花見をした南天満公園で2.5m、高低差は21mでした。
当初の計画では、大阪城北詰方面の藤田邸跡公園や大阪市公館、川崎橋などを巡り、さらに1km以上歩く予定でしたが、NHKに立ち寄ったこともあってすでに大幅に時間を超過していました。お腹も減ってきましたので、予定をカットしてお花見に向かうことにしました。当初案は欲張りすぎていましたので、結果オーライだったかもしれません。
大野さん、今回もたくさんの写真撮影お疲れ様でした。ありがとう!
今回のコース図と高低差です。最高地点はNHKで23.5m、最低地点はお花見をした南天満公園で2.5m、高低差は21mでした。
当初の計画では、大阪城北詰方面の藤田邸跡公園や大阪市公館、川崎橋などを巡り、さらに1km以上歩く予定でしたが、NHKに立ち寄ったこともあってすでに大幅に時間を超過していました。お腹も減ってきましたので、予定をカットしてお花見に向かうことにしました。当初案は欲張りすぎていましたので、結果オーライだったかもしれません。
大野さん、今回もたくさんの写真撮影お疲れ様でした。ありがとう!
今回のコース図と高低差
■グルメの会のご報告
さて、ここからは後半の部「グルメの会」のご報告です。
「グルメの会」は本来、飲食店巡りなのですが、今回は季節がら満を持してのお花見会にしました。
一年で一番心地よいこの季節。店内よりは、やっぱり酒もってアウトドアでしょう!
今回は谷よしえさん(3年7組)にレポートしていただきます。アルコールは飲めないのに飲んでいた私以上に盛り上がっていたトンちゃんこと谷さん! それでは、よろしく~
まずはお弁当をご覧ください。松花堂弁当みたいで可愛いでしょう。これをチョイスした男性陣の「女子力」に拍手です。(パチパチパチ)
では順を追ってお知らせしましょう。
酒井大先生の丁寧で優しく分かり易い解説付き・大人の遠足(ブラ酒井)の総決算。散り初めの桜の下でお花見です。‘造幣局・桜の通り抜け’の人波の渦に飲まれ、大川を渡り西へ舵を取れば、すぐそこが南天満公園。
先客(笑)万来ではありましたが、ぬかりなき浜田幹事の号令一下、場所取りもまずまず。仕込みは旧松坂屋、現在は京阪シティモールの地下で弁当、飲み物を購入。(因みに9組マヤさんは日常のお買い物でよく使われるとのこと、流石シティマダム)
まずは乾杯。
一万歩以上歩いた方も多数いて、歩き疲れた後のビールの美味しいこと。(笑´∀`) 一言目は「旨い!!」です。そして前述のお弁当。「ワ~~イ!!(^^)!」の歓声も漏れ、皆童心に返った気分。もしくは時間を先送りし認知症患者になった気分かも、、、。持参のパンやお菓子が出るわ、出るわ。(^.^)/~~~本当に遠足に行ってるようです。
お腹も落ち着くと、そこは偏差値高い集団 大手前紳士淑女。楠木正行の義戦の話に端を発し、日本史談義。歴女も参戦します。また、年号の語呂合わせ披露もありました。「イイクニ ツクロウ」はなんとかついていけましたが、「仏教伝来は、午後にゴミ屋がやってくる。552年と538年の二つの解釈がある」とか。へえ~~と手を打って納得の世界。皆さん博識。
そしてなんと、メンバーに歴史に名を馳せたかの織田信長の妹、お市の方のお姑(つまり浅井長政のご母堂様)の家系の方がおられると判明。お市の方の三女のお江は徳川秀忠に嫁いで、ゆくゆくは天皇家とも血筋が交わり、今の天皇陛下とも血縁関係があることになるのでしょうか。世が世ならご一緒に会食などもっての外でしょう。これこそ「びっくりポン!!」
そしてなんと、メンバーに歴史に名を馳せたかの織田信長の妹、お市の方のお姑(つまり浅井長政のご母堂様)の家系の方がおられると判明。お市の方の三女のお江は徳川秀忠に嫁いで、ゆくゆくは天皇家とも血筋が交わり、今の天皇陛下とも血縁関係があることになるのでしょうか。世が世ならご一緒に会食などもっての外でしょう。これこそ「びっくりポン!!」
車座になって、12人(残念ながら西岡君は所用があって途中帰還)の顔が見え、声の届く距離だったので、ホントに楽しく皆さんのお話が伺えたし、おしゃべりもし易く、有意義なお花見となりました。
桜吹雪の花びらもチラホラと舞い、私達の会に名実ともに花を添えてくれました。
散会の後、強者どもは「通り抜けも行ってくるわ」と元気に手を振って別れていきました。痛い足を引きずり帰途についた私の携帯には「タノシカッタ」「ツギモイキタイ」のメールが参加者から続々。旧暦3月3日の良き日に皆様と集えて望外のしあわせですぅ。❤
次回も7月のブラ酒井でご一緒しましょ!
次回も7月のブラ酒井でご一緒しましょ!
この場を借りて、総監督浜田知宏君、町歩き指揮官酒井裕一君、報道カメラマン大野浩司君に改めて感謝の意を表したいと思います。参加者全員の方々にも「有り難う」と大声でお礼を申し述べたい気分です。
でもまずは、5月20日(金)6時~ 金蘭会館での大手前セミナー「バックパッカー世界の旅~100カ国を目指して!」
浜田知宏講師のお話を聞きに、お目にかかりましょうぞ
(^-^)g””
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■最後にトンちゃんの“和歌の書”
トンちゃん、楽しいレポート、ありがとうございましたm(_)m
私が講演する金蘭会セミナーのPRまでしていただき、感謝、感謝です。
皆さん、御用とお急ぎでない方は、ぜひ、金蘭会セミナーにお越しください。時間的にセミナー参加が無理な方でも、その後の懇親会(8時から開催、3年9組の山本マヤさんが幹事です)に間に合う方は、ぜひ、駆けつけてくださ~い。ゝ(^。^)ノ
さて、最後になりましたが、トンちゃんこと谷よしえさんの“和歌の書”で締めたいと思います。ホント、春にピッタシ、うっとりする見事な書ですね!!
第2回「街歩き&グルメの会」のご報告(完)
by hsakai1215
| 2016-08-12 20:01